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2007年8月23日 (木)

百万回のありがとう。

『ありがとう』とはとても気持ちのいい言葉

おばあちゃんは昔からよく「ありがとう」を口にしていました。
ちょっとしたことにでもです。
当たり前のことをしているだけなのに、それでも「ありがとう」といってくれました。

そして、リフォームした台所でご飯を食べるとき必ず、
「あなた達のお陰様。ありがとう」と口にします。
母が平日ずーっと病院へ行っていて(魚津)、我が家(高岡)に帰って来れない状況に
「ごめんね。お母さん借りて、ありがとうね~」
「S(父のこと)さん、すんません、ありがとさんです」と感謝の言葉を口にしてくれます。

いつもいつも口にするので、いい加減もういいよ~
なんて思うのですが、ばあちゃんの気が済まないみたい。
気になってお見舞いに行くのですが、
本当に手を摺りあわせてありがとう~って言うんですから、、、
こっちとしても嬉しい限り、行ってよかったなーと。
人間言われたらやっぱり気をよくしますから、
心に引っ掛かりを持っていても、ありがとうと言われればスーッと流れます。

人生80年として100万回のありがとうを言うには、
1000000回÷80年÷365日=34回
1日34回のありがとうはさすがに言えないか、、、

私のHPは『SYASYA』と名づけています。
私自身、やるのも、やってもらうのも当たり前。って思いがちになるので、
感謝の言葉を忘れずにってことで、感のSYASYAにしました。

皆さんも是非 100万回を目指して感謝の心を表現しよう!

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2007年8月20日 (月)

ホッ。

バタバタ、 バタバタ、、
今月は落ち着かない日々を送っています。
ブログの更新も、、
あっちゃ~~~~~~~~、、、

病気と闘うおばあちゃん。
たった今、手術が終了したとのこと。
兄から無事の知らせを頂きました。

8/1 調子が悪いと入院し、脳腫瘍であることが判明。
つい1週間前、みんなでリフォーム祝いしたばかりだったのに~
検査入院するも、日々調子が悪くなり、入院も嫌だとダダをこねる。
8/10 外泊するも、8/11 調子が悪いと病院へ逆戻り。
すぐに先生から検査報告を受ける。

脳腫瘍といっても悪性のもの。
余命半年以内の神経膠腫とのこと。
すぐに手術をしてはどうかとのこと。
手術をしても完治には至らないけれど、ばあちゃんは治ると思っている。
治るんだと思うことが、何より大事だと思うから、私のばあちゃんには今、手術をすることが最善だと思う。その後のことはこれから検討していこう。
マクロビ食とか、運動とか、プラズマ療法などなど・・・

そう思っても、手術までの時間は長く、
日一日、一時ごとに病状が変化していく。。
8/12 8/14ばあちゃんの手術が決定
8/13 ばあちゃんが手術を拒む(月命日やお盆であったため、帰ってこられないと想像したみたい)。手術を8/22に延期するも、先生はそこまで薬で状態を維持できるかどうか不安だとのこと。
8/16 様子を見に行くが、左半身の麻痺が顕著になる。
8/20 手術 無事終了 

何よりも無事に終わって嬉しい。
兄が、ばあちゃんの手術が気になって仕事どころではない!と会社を休んで病院に行っていたようです。そんな兄のこともなんだか心穏やかに嬉しいと感じます。
兄嫁のじゅんちゃんもお見舞いに行ったとき、ばあちゃんの手料理美味しいから食べたいね~なんて、嬉しいことを言ってくれました。思っていること、言葉に出して言ってくれると本当に響きます。

明日会社終わってから顔を見に行ってきます。
母の母なので、母はほとんど実家に帰っています。
母も病もちなので、気にはなっているのですが、母には私がいるので大丈夫☆
母!!がんばってね!!!

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2007年8月10日 (金)

ラブリーな関係

P1010717「みなちゃーん(私のことです。)」と駆け寄ってくるユウくん。このなんと愛らしい笑顔。癒されます。

とってもセンスがよく、
気が利いて、
思ったらすぐに動いて、行動力があり、
伝えるべき言葉をきちんと相手に伝えることができる。
昔から魅力的な人でした。
そんな彼女の大切な息子であるゆうくん。
キャ~、、かわいい~~

8/7-9の2泊3日の岡山旅行はあっという間に終わりを向え、富山に帰ってまいりました。結局3日間ずーっと遊んでもらっちゃいました☆私の友達の彼女と、ゆうくんのお母さんである彼女と、彼女の息子であるユウ君に会うために岡山に行った私としては大満足の3日間でした。

彼女とは高校以来のお友達。中学時代はお互い別の学校の陸上部員。それが、同じ高校になり、同じ部活に入り、互いに理系ということもあって同じクラスになり、こうして今も連絡を取り合う大切なお友達です。学生時代、社会人になってからも年に一度は顔を合わせていた私たち。最後に会ったのは彼女が妊婦さんだったからもう3年半ぶり!?懐かしいけどでもついこの間あったようななんとも不思議な感覚でした。

年をとると何となく当たり障りのない範囲でしか付き合えなくなるけれど、(それが心地よかったり物足りなかったり、、、)学生時代からの友達はやっぱり言いたいことも言ってきたし、分かってもらおうと喧嘩もするし、相手と深く関わってきたから本当に居心地がいい。話したいことはたくさんあるけれど、何も言わなくても、話さなくても、顔を見て一緒にいれば安心するそんな存在。

また、お金をためて遊びに行くね。東北と四国の旅、計画しようね。
ありがとう。

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2007年8月 4日 (土)

躁うつ病と痴呆症と脳腫瘍

皆さんの大切な人、大事に思いやっていますか?
その日は突然やってくるものです。

私は今までにお葬式に幾度となく出る機会がありました。
祖母の、お友達のお母さんの、同級生の、、、
今考えると、とても悲しいことだったけれど、その悲しみの深さを分かってなかったなーと、、、それはもしかしたら式にしか出てないからかなーと。毎日目の当たりにしないからかなーと。そしてやっぱり他人事だったのかなーと。

そんな中、変化がありました。母の母、祖母の様子がなんだか変なのです。今、祖母の家はプチリフォームが終了。しかし、リフォーム工事中、祖母の様子が日毎におかしくなるので、我が家でも気をもんでおりました。

・人間不信:業者さんの出入りがあるので家を空けることは心配(コレは納得できます)。
・物忘れ:家から出ることはないのにも関わらず、通帳のしまう場所を変えて(業者さんの出入りがあるために)、必要なときに何処にしまったか忘れてしまう(コレも物忘れの範疇でしょう。納得)
・電話をかけたことを忘れる。一日に3回もかける。
・話し方が以前と違う(テンションが異常に高い。)
・感情の起伏が激しい
・パニックになる
もっともっと沢山の事項があります、、
すぐに疲れたといってはソファーに横になる、
車を降りるときにスリッパが脱げたことに気付かず、素足のまま歩く、
買い物にスーパーに一緒に行くとフラフラ、、
一方の肩が下がり、すり足で歩く、
夜中に近くのお墓に入り込む、、と書ききれません。。。。。
こんなことは絶対にないだろうという人でした。
今まで一度たりともしたことがない行動でした。
こんなことから、過度のストレスによる痴呆症状が現れたのかと、心配していました。まさに絵に描いたような痴呆症状。
祖母は本当に昔からチャキチャキした人で、魚津で言えば"キトキト"が似合う人で、計算だって、動きだって俊敏で、だから、ココ1ヶ月ほどの様子があまりに???なので、躁うつ病の入り口か、痴呆症が進行したものとばかり思っていました。

でも、祖母の痴呆症に似たおかしな様子は二次的なもので、
脳腫瘍とのことでした。年ということに惑わされすぎた結果、根源である病気の進行に誰も気付いてあげることができませんでした。

祖母は大きな病気を受け入れることができないといっています。
今とても弱気になっています。
でも、まずは自分が生きたいと願って欲しい。
『病は気から』本当にそう思うのです。ばあちゃん頑張って!!!
私にできることは何なのだろう?
病気に打ち勝った祖母を想像し、口に出して、感謝することかもしれない。

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